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科学における反証 [読書]
科学は論理的であるが、自由な非論理で歩む。
人間は考える葦である。
考える葦でなければ人間でない。(対偶)
それでは、「人間でなければ考える葦でない」は論理的におかしいのか?
つまり、おかしいと言うのが反証である。
反証は反例をあげればよい。
人間でない猿が考える葦のような行動を取れば立派な反証である。
こんな単純なパスカルの言葉ではない。
仮説の非論理性が反証によって明らかにされても、
仮説の持つ大部分の正当性と本質性を否定するものではない。
すなわち、発展的に反証を糧とする仮説’の前哨である。
モノの本質は一時的な論理性をも凌駕する発展の思索によって洞察される。
さて、人間は考える葦であるに戻ろう。その本質はなんであろうか?
思慮深い回答をされたstarfloraさんの言葉が全称的である。
私は大げさな言い方だが、現代科学哲学のあり方を指摘されたように思える。
引用して失礼します。
「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、
運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」

伊野の大杉
人間は考える葦である。
考える葦でなければ人間でない。(対偶)
それでは、「人間でなければ考える葦でない」は論理的におかしいのか?
つまり、おかしいと言うのが反証である。
反証は反例をあげればよい。
人間でない猿が考える葦のような行動を取れば立派な反証である。
こんな単純なパスカルの言葉ではない。
仮説の非論理性が反証によって明らかにされても、
仮説の持つ大部分の正当性と本質性を否定するものではない。
すなわち、発展的に反証を糧とする仮説’の前哨である。
モノの本質は一時的な論理性をも凌駕する発展の思索によって洞察される。
さて、人間は考える葦であるに戻ろう。その本質はなんであろうか?
思慮深い回答をされたstarfloraさんの言葉が全称的である。
私は大げさな言い方だが、現代科学哲学のあり方を指摘されたように思える。
引用して失礼します。
「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、
運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」

伊野の大杉
確率的科学哲学 [読書]
帰納的科学哲学に確率を持ち込む。
多くの事象を以って、一つの理論を打ち出し一般化を図ろうとするのは、
科学的手法であることは否定しない。
全ての事象に基づかなければ100%の理論ではないとする演繹論では
新しい理論は出てこないだけでなく、結果論だけが横行すると思える。
それに対して、ジェヴォンズは確率を持ち込んだ。
確かにラプラスの逆確率は数学的に理解ができる。
ふと思い出したのは、天気予報に降水確率が持ち込まれた(1980)ことだ。
当たらない天気予報といわれて考え出した苦肉の策である。
「0%と100%以外は信用しない方が良い」という皮肉を言われ、
皮肉を言われる確率を計算しているのかもしれない。
確率はお役人・評論家の究極の説得、方便となっているのは経験済みである。
サンプリングを限定せず、各事象が独立・等確率になっているか?
冷静に、落ち着いた思慮のある感覚をもってすれば対処できる。
「確率は科学の創造的進歩に寄与しない」と理論化学の先生に教えてもらった。
「科学の進歩は非常の理で成し遂げられる」
私は先生のこの言葉を漸く分かりかけてきた。

素桜神社の神代桜 桜は幹を見なくては
多くの事象を以って、一つの理論を打ち出し一般化を図ろうとするのは、
科学的手法であることは否定しない。
全ての事象に基づかなければ100%の理論ではないとする演繹論では
新しい理論は出てこないだけでなく、結果論だけが横行すると思える。
それに対して、ジェヴォンズは確率を持ち込んだ。
確かにラプラスの逆確率は数学的に理解ができる。
ふと思い出したのは、天気予報に降水確率が持ち込まれた(1980)ことだ。
当たらない天気予報といわれて考え出した苦肉の策である。
「0%と100%以外は信用しない方が良い」という皮肉を言われ、
皮肉を言われる確率を計算しているのかもしれない。
確率はお役人・評論家の究極の説得、方便となっているのは経験済みである。
サンプリングを限定せず、各事象が独立・等確率になっているか?
冷静に、落ち着いた思慮のある感覚をもってすれば対処できる。
「確率は科学の創造的進歩に寄与しない」と理論化学の先生に教えてもらった。
「科学の進歩は非常の理で成し遂げられる」
私は先生のこの言葉を漸く分かりかけてきた。

素桜神社の神代桜 桜は幹を見なくては
科学の帰納法と演繹法 [読書]
ニュートンがどのようにして万有引力を見出したか?
リンゴが木から落ちたからという馬鹿げた話ではない。
それなら桃が木から落ちたら掃除を考えたのか?
ケプラーの観測結果やガリレイの実験事実を知っていたからであろうか。
葦の髄から天を覗くが、万有引力には到達しない。
ニュートンの帰納法的な推論を哲学的に、
仮説演繹法だとか帰納法だと一般化しようとするが、
結果論や憶測と思わざるを得ない。
もう少しニュートンの推論や「閃き」に触れたく感じる。
数多くの実験結果を知っていても万有引力の原理を思いつかない。
饒舌な自然の声が大きさに関わらず、
本質に迫る結果をメモしておくことが原理発見の手掛かりとなる。
学生に実験をしなさい。兎も角実験の結果を優先しなさい。
といってきたが、どれが大切かという審美眼を磨くこともそれ以上に重要です。
従来の哲学者の言うことは絶対ではありません。
それはその時代を背景に、インテリゲンツァーとして述べたのだと解釈しましょう。

ひるがの湿原
リンゴが木から落ちたからという馬鹿げた話ではない。
それなら桃が木から落ちたら掃除を考えたのか?
ケプラーの観測結果やガリレイの実験事実を知っていたからであろうか。
葦の髄から天を覗くが、万有引力には到達しない。
ニュートンの帰納法的な推論を哲学的に、
仮説演繹法だとか帰納法だと一般化しようとするが、
結果論や憶測と思わざるを得ない。
もう少しニュートンの推論や「閃き」に触れたく感じる。
数多くの実験結果を知っていても万有引力の原理を思いつかない。
饒舌な自然の声が大きさに関わらず、
本質に迫る結果をメモしておくことが原理発見の手掛かりとなる。
学生に実験をしなさい。兎も角実験の結果を優先しなさい。
といってきたが、どれが大切かという審美眼を磨くこともそれ以上に重要です。
従来の哲学者の言うことは絶対ではありません。
それはその時代を背景に、インテリゲンツァーとして述べたのだと解釈しましょう。

ひるがの湿原
自然科学 [読書]
自然科学というのは何を指すのか?
大学の教養部があった時代に、自然科学に数学や物理が入っていた。
何も不思議に感じなかった。
自然を扱うのが自然科学と考えると、数学や物理は人工科学である。
生物学や地質学こそが自然科学であるはず。
現在はもっと酷いことになっている。生化学や遺伝子工学が生物学になっている。
生物学の先生に直接お話いただいたことに、
「私は生きたものをやっていますが、死んだものは知りません」
この強烈な言葉が耳から離れない。死んだものを扱うのは生物学ではない。
世の中「生物、…生物、生物…学」なんてほとんど死物学でないでしょうか。
では、化学はどうなるのでしょうか?
人工科学と思えます。自然哲学か自然誌か、分子が見える世の中になってきて
化学が本当に自然誌的な色彩をもってくるようになりました。
分子という小さな生き物が動き、分解・結合する様子を見たときに哲学も実践学となるでしょう。

ベニバナ 岐阜薬科大学薬草園にて
大学の教養部があった時代に、自然科学に数学や物理が入っていた。
何も不思議に感じなかった。
自然を扱うのが自然科学と考えると、数学や物理は人工科学である。
生物学や地質学こそが自然科学であるはず。
現在はもっと酷いことになっている。生化学や遺伝子工学が生物学になっている。
生物学の先生に直接お話いただいたことに、
「私は生きたものをやっていますが、死んだものは知りません」
この強烈な言葉が耳から離れない。死んだものを扱うのは生物学ではない。
世の中「生物、…生物、生物…学」なんてほとんど死物学でないでしょうか。
では、化学はどうなるのでしょうか?
人工科学と思えます。自然哲学か自然誌か、分子が見える世の中になってきて
化学が本当に自然誌的な色彩をもってくるようになりました。
分子という小さな生き物が動き、分解・結合する様子を見たときに哲学も実践学となるでしょう。

ベニバナ 岐阜薬科大学薬草園にて
科学哲学入門 [読書]
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